第三回オンライン会議を報告します
日時2024.11.02 20.00~21.00
参加 井上千颯・織田哲也・古賀貴士・前田伊央里・安永 煕 順不同
担当 (石原 渉 先生) 文責 TAKA
議 題
1.みらいへの乗船。これは福岡という遠方であり福岡チームは苦労しています。総勢5名中2名のみ前半1名と後半1名にわかれて乗船で確認しました。ただ,石原先生は後半に乗船して水の子岩遺跡のお話をしていただける予定とのこと。初めてリアルでお会いすることを楽しみにしています。
2.みらいへの中間発表の担当・資料作成について,井上君に博多湾のスライドをつくって本日発表をしていただいたので,それを加工して各チームのみなさんにも博多湾と沖ノ島の位置関係や歴史をざっくりみてもらおうとおもいます。そのうえで,各パートにわかれて資料を作成します。
3.テーマ(内容について)
(1) 井上君が昔の博多湾の状況,日宋貿易の関連遺跡(博多遺跡),元寇遺跡など説明してくれました。硫黄の出土などあるそうです。関連してなんと龍宮寺の発掘に携わったことがある石原先生から補足説明。資料として福岡市教育委員会の報告書をみてほしいそうです。
(2)井上君から文永の役のときに博多湾に船がきているが,鷹島と異なって遺跡がみつかっている様子がないという説明。石原先生から文永の役は威嚇偵察とといわれており,一夜でいなくなったというのも別に嵐ではないと考えられること,昔元寇の碇石といわれていたものが博多湾でみつかっているが,これは元軍がつかっていたものとは異なる,おそらく日宋貿易の碇石と考えられること等補足説明(先生は碇石のご専門)。博多湾で元寇の沈没船などみつかったら新発見となりそうですね。
(3) 古賀から沖ノ島の遺跡について
特別研究事業第1回国際検討会「古代東アジアの航海と宗像・沖ノ島」報告
など資料と内容を簡単に説明。なぜ,古墳時代まで沖ノ島ルートが存在し,その後廃れたのだろうか。上記資料等によれば,沖ノ島ルートは朝鮮半島→対馬→沖ノ島は対馬暖流に乗るので比較的容易である。逆に日本から行こうとすると対馬暖流に阻まれるので,ルートとして適切ではないのではないか。もう一つ沖ノ島の遺物は大陸由来の物が多いこと。大陸から来た場合に寄ったならそこで遺物を奉納するのは理解しやいすいが,これから大陸にいくときに命懸けで大陸から運んだものをわざわざそこに奉納するのは違和感がある。この違和感は正しいのだろうか。また,たとえば武寧王は唐津経由できた(帰路は不明)など踏まえると,来るルートとしても沖ノ島ルートは一般的とはいえないように思われる。そうすると沖ノ島ルートというのはそもそもどうなのだろう。
4.中間発表の資料
乗船前の23日の20.00から会議,それまでに資料を作成することで協議終了。今月はちょっと忙しくなりそう。
5. きたる12月のフィールドワークについて
12月14日,15日実施(いずれかを予定)。宗像,能古島,鷹島を想定していたけども鷹島は外す方向で。福岡市博物館など予定。
6. その他 石原先生から志賀島沖の幻の沈没船の話-彦山丸近くに沈没船から高価な硯がでたという話。その後調査したが見つからなかった。いまの技術なら見つかるかも。なんか面白いので大人二人が食いつく。資料をいただくことなった。
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