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【和歌山チーム】太田城水攻め雑感。和歌山市博、前田館長を尋ねて

水攻めによる水位は実は浅かった?

太田城水攻め推定範囲図(国土地理院データ使用による微地形から推定)
太田城水攻め推定範囲図(国土地理院データ使用による微地形から推定)

前回、「色別標高図を元にトレースして等高線に代えて地形をわかりやすくしてみた図である。薄い水色は標高5mまで水をためた場合の範囲を示している。これでわかることは、来迎寺は1段高くて、4.5m以上でないと水没しない。また、5m以上の高さまで水をためようとすると、広範囲に氾濫し、それ以上は水位を上げられそうにないことである。」

として、公表を行っているが、

2月9日、全員で和歌山に集まって、和歌山市博の前田館長からお話をおうかがいする機会をえた。

ご指摘としては、他の水攻め城と比較をしてみてはとのことだった。

早速、忍城水攻めを題材とした「のぼうの城」を久しぶりに見返してみた。

単なる映画なのだが、築堤の過程で埴輪が壊されるシーンがあるなど、かなりリアルに思わされてしまう。

備中高松城の築堤は現在ほとんど残っていない。築堤の残りとしては、忍城の築堤が一番いい状態のようである。

それはさておき、映画や備中高松城の絵図をみても城自体は水没していない。(古川古松軒「備中加夜郡高松城水攻地理之図」他)

太田城の絵図をみても城は水没していない。

そうすると、現状で4.5m~5mの間までの水位ほど必要ではなかった可能性を考えるべきかもしれない。

その考えに基づけば、地形的には、太田城水攻め絵図に書かれた状況に近いものが描き出される。

明治期の地形図では、太田城周辺は3.5m程度とされている。太田城を水没させないとなると、4.5m以下の水位となるので、水攻めの数位は1m以下と推定しておいた方がよいようだ。となると、東側は堤防がなくても地形上から水は蓄えることが可能となる。

湯峯愛 2009 「地籍図による太田城水攻め堤防の復元」『和歌山地方研究』56号では、東側の南北方向にも堤の痕跡が認められるとしているが、この部分は再検討してみても良いのではと思う。


今回理解できたのは、太田城水攻め図はデフォルメされてはいるものの、かなり、事実に近いものを含んでいるといえることだ。


総光寺由来并太田城水責図 附総光寺中古縁起
総光寺由来并太田城水責図 附総光寺中古縁起

http://wakayamacity-bunkazai.jp/shitei/3639/(総光寺由来并太田城水責図 左記からの引用)


絵図と方向を合わせてみた
絵図と方向を合わせてみた

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